目で見る気仙沼の変貌

明治44年の気仙沼内湾
気仙沼の発展は海の埋め立てによる土地造成よるしかなく、正保、慶安(1648年~)のころ、入江を埋めて、三日町、八日町をつくったのをはじめ、大正8年の河原田海岸埋立、現魚市場建築直前の一景島埋立と次々手をうっている。
この明治44年の港内写真を見ると右手に郡立水産学校、手前に大堀下流(いまの漁協付近)が写っている。


三日町の街路
(ふたかけ)
明治35年から、10年ほどの間に、三日町上流から順々に木材を使って川にふたをかけた。
それが現在の道路であり、下水道となっている。
沢田から下流は、まだ、工事ができていない。この写真は明治40年ころ撮影
青物市場
南町、高定洋品店の向かい側にあった青物市場。
明治44年。
堀があった頃の八日町
市役所入口から、横丁山に向かって写した。
道路中央の堀は、一間半ほどでアヒルが遊ぶのどかな風景も見られた。
両側の家はほどんとマサぶきの2階づくりで、カラスどまり(三角屋根の上突端)がついている。
この風景も、大正4年の大火でうしなわれ、両端も少しずつ後退し家が再建された。
明治44年の横丁
現、信金付近から森田医院方面を。

空から見た気仙沼市中心街
新魚市場と気仙沼線ができ、内の脇に水産加工場、商店、住宅が急に移りつつある。
第2次の商港方面の、サンドポンプのよる埋立がはじまっていない。
昭和29年撮影






現在の鹿折






鹿折浜地区(工場地帯)。右の川は鹿折川。
昭和46年撮影




商港上空から右手鹿折方面 



神山橋上空から
ゴボー土手。右側の橋は気仙沼大橋と気仙沼線の鉄橋など。




三日町上空から見た気仙沼湾
(昭和46年12月撮影。(3枚共)



”ふるさとの山はありがたきかな”
気仙沼町民にはなつかしき安波山。 

昭和36年ころのゴボー土提
左側で、エントツから煙を出しているのが、ゴミ焼却場。橋は気仙沼線の鉄橋。中央に昭和36年1月23日、”構内を汽車が走る”旧校舎から移転の鼎校。右手に不動の沢駅が写っている。


昭和41年6月の東浜街道
右の丘の上(砥石鼻)に、総事業費3億3千万、 

 
空から 見た鹿折中心街
浜区、浪板まで、カキいかだが並んでいる。昭和29年撮影 
 
 *上記の画像は、ブック画像集より実写したものです。また、コメントは当時の内容をそのまま掲載しました。